2011年05月17日

「笑い」を知りたいのなら。

上野・浅草・池袋とならび、都内では数少なくなった落語の定席
その晩のトリを勤めたのは、「6代目柳家小さん師匠」。
彼の父である人間国宝故・柳家小さん師匠がもっとも愛したのも、この寄席でした。
末広通りは、この現代的な新宿の街にあって、いまだ庶民的な暖かい匂いのする貴重な界隈です。

2005年に放映された「タイガー&ドラゴン」は、長瀬智也・岡田准一という当代の人気アイドルを主役に脚本家クドカン(宮藤官九郎)人気もあいまって、時ならぬ落語ブームを巻き起こしました。映画「落語娘」、「しゃべれどもしゃべれども」などをご覧になった皆様も多くいらっしゃいましょうか?
一過性のブームであったとはいえ、若い皆様に落語の存在をアピールできたという意味では、まっこと幸甚の極み。
我が日本文化にとって。

これは何も大げさな物言いではありません。
落語は、この国にとって甚だ大切な芸能なのです。
洋の東西を問わず、一人芝居というものは多く存在いたします。
あるいはモノオペラという、たった一人の登場人物で物語る音楽劇なども。
けれど、一人の人間が二人どころか数人、場合によっては十数人もの登場人物を演じ分ける芸能。
しかも座布団一枚というあまりにも限られたスペースの上に座ったままで、となると、これは世界中のどこを探しても見つからない大変に貴重な文化なのでございます。

日本は孤立した島国でありながら、文化的に大陸の影響を色濃く受け、あらゆる文化領域においてその本来的な独自性を見出すのは困難です。
現代においては音楽はもとより演劇も美術も、主にアメリカを中心とした西欧文化に陵辱されたかのごとき現状。
愛国主義者ならずとも、「日本人のアイデンティティーはどこに?」となげくのも無理はありません。

それでも、「漢字かなまじり」という実用性に優れ稀有にして美麗な母国語と、その美点をあらん限りに駆使した「落語」こそは、国宝どころか世界遺産(平泉の皆様、10年超しの悲願達成おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。)に指定されてもおかしくないのですが残念なことに、日本語は世界中の言語の中でも3本の指に入る難しさ。解する人口の少なさから、正当に評価されるのはまだまだ遠い夢でしょうか。

とかなんとか御託を並べる必要など、本当はさらさらないのです。
なぜか。
それはもう、
落語が面白いからに他なりません。

なめたろーの新宿歌舞伎町見聞録 File.no18

018suehiro

「末廣亭」
新宿3−6−12
03-3351-2974

敬愛する二代目故・桂枝雀師匠sizyakuによる「緊張と緩和によるサゲ4分類」においてつまびらかにされたように、笑いに関するありとあらゆる種類、テクニックが用いられます。
また古典においては、江戸期から昭和初期にかけての市井に生きる人々の真実が、実に生き生きと活写されます。
風俗にご興味をお持ちの皆様なれば、「艶笑モノ」と呼ばれる種類のお話しをぜひお聞きください。
往時の風俗嬢たちの暮らしや、庶民の風俗に対する感覚、「なか(現在の吉原)」の風景など、他のいかなる種類の資料よりも詳しく面白く知ることができます。

個人的なオススメは、
上方ならもう一人の人間国宝、江戸期から書物のみにて伝わる数知れぬ素晴らしい噺を掘り起こし、滋味溢れる語り口とその博覧強記に裏打ちされたマクラでの多彩な小話が楽しい三代目桂米朝beityou
米朝が、最期の歌舞伎座独演会にて満場の観衆に見送られ第一線を退くに際し「枝雀がおったら自分が倒れても代役を頼めたのに」と涙ながらに語った、浪速の爆笑王・2代目故・桂枝雀、
江戸なら、伝説の5代目古今亭志ん生と戦友でもあり、100席をゆうに超える膨大なレパートリーと端正な話術で、晩年は名人の名を欲しいままにした六代目故・三遊亭圓生ensyou
志ん生の息子としての重圧にも負けず、父とはまた味わいの違う芸風で一世を風靡しテレビでも人気者となった早逝の天才・三代目故・古今亭志ん朝sintyou

「物語を楽しむ」という意味においては、この四人の芸がなによりかと。
できれば最初は音だけに集中して楽しまれたほうが近道かと存じます。ご近所のTSUTAYAさんなどにも、十分在庫がございましょうほどに。

to be continued

name230

やってます。 by nametaro-



kabukifuzoku at 17:30 │Comments(0)clip!歌舞伎町情報 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
グループ系列店ブログLink